安心と安全
私の記憶では、「安心」と「安全」が目や耳に残るようになってきたのは、阪神淡路
島大震災のあった1995年(平成7年)の第2次太平洋戦争の終戦50年目の年か
らだったと思う。
2001年のアメリカニューヨークでの大規模テロ、2011年の東北大地震での津波と
原子力発電所の事故などで、私たちの暮らしが、安全保障や電気屋ガス、水道などと
間接的でなく直接的な生活に影響するものとなっていたことを振り替えさせられた。
水や空気と平和は当然の日常生活にあるものとしていたことが、すぐに脅かされかね
ないという危うい点があると気づかされたからだ。
現状は、パンデミックである感染症と米国と中国による世界情勢の微妙なバランスか
らの不安である。
昨日のニュースでは、プロ野球の感染が、西武球団による事前健康チェックと抗原検
査が感染症対策として試験的に行われたという。
今まではなかった旅行のための交通手段やレジャーの中で、感染症対策とワクチンな
どにも寄る陰性証明や生活安全保障パスポートなどという私たちの生活様式を大きく
変化させていかねない様々な方法と手段が整然と現れていくことに、この私自身がつ
いていけるかが不安になった一晩である。