今より次、師走より来年

12月は抜歯を2本して歯痛が残るうえに、口内炎でうまく食事ができない。

大腸ファイバーもせねばならないし、精神的に追い込まれてしまい、まさに師走のあ

わただしさと少しのあせりに気づかされます。

だからだと自分に問いかけるのだけれど、「この苦境を超えた時のエネルギーを次の

活動に投資していこう」とつくづく思わされています。

次の段階にどんなことが待っているのか、心配よりもうきうきさが上回る毎日であっ

てほしいと願うばかりです。

子供に思うこと

陶器でできた怪獣の貯金箱を見ると、いつも子供のことを思い出す。

彼ももうすぐ23歳になるのだけれど、別れてから何度かしか会っていない。

弟の告別式で顔を合わせてから半年になるが、連絡もつかない。

仕事がたいへんかもしれないが、何らかの様子が分かれば安心することもあるのにと

思う。

元気でいてくれればいいだけだけれど、たわいのないことで日々のやり取りがあれば

と感じることもある。

自分の父との関係もそうだったのかもしれないけれど、母親の存在も大きいと思う。

自分がこまめにメールやラインやSNSなどを駆使していけばいいのかなとも思うけれ

ど踏み切れない。

その壁は責任や希望とも違う何とも言えない霧の中にあるようだ。

少し振り返ってまた前を向いて

みるめの会という視覚障がいと暮らしをテーマに活動しています。

毎回10人ぐらいの集まりで、毎月テーマを決めて5年間開催しています。

第4日曜日の14時から15時半まで、corona禍を経ながらも続いています。

ボランティアやガイドヘルパー、なんといっても当事者の皆さんの協力のおかげだと

思っています。

今までの定期交流会や相談の実績をたどると、みんなよくがんばっている、もしくは

、ひたむきに暮らしている姿がうかがえます。

この教官と理解と期待をじっくりとわくわくできる場面を提供できていけるようにが

んばります。

参加は無料、場所はJR神戸線灘駅南すぐ神戸市東部在宅福祉障がい者センター2階

趣味創作室が会場です。

ハイブリッドでの形式でZoom参加も歓迎です。

どうぞよろしく遠慮なくご参加ください。

視覚障害者の交流会「みるめの会」ホームページをよろしく

URL

= https://bit.ly/3ihiviZ

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マイナンバーガード

弟のマイナンバーカードの代理受領に区役所にガイドヘルパーと行った。

弟から委任状を受け取り関係書類も揃ったからといった。

だけど不備があると指摘された。

暗証番号が二つ必要で、一つは数字四桁で、もう一つは英数6文字で16文字以内だと

いう。

弟は4桁数字のものを二つ書いていたようだ。

それと暗証番号は封筒に封をしておかなければそれがしんぞくであっても(全盲だけ

どといいたくない皮肉をつぶやいたが)無効だという。

万事は態のいいお使いに終わってしまった。

マイナンバーカードはデジタル社会に必要不可欠なものなのだろうかと横についたガ

イドヘルパーはぼやいていたが。

彼女は最後まで取得しないと実感したそうで、不必要と断言していた。

古典講読

年末年始の特別編正機関になるとテレビもラジオもバラエティーや特別番組の出番と

なっている。

製作者は必至だろうが、何となく年代的にも趣味的にも合わないものが多くありすぎ

る。

以前の施設職員の時に利用者からのぼやきで、この時期になると点字本やカセットテ

ープを何人も何冊も多量に発注していたことを思い出す。

インターネット時代のユーチューブやデジタル関連の本やラジオやその他の情報化時

代でも同じような気分を味わっているのだと笑えて来る。

そんな時は、NHK第2やEテレの教養番組の中の古典講読や関連する番組を聞く。

かなり前の年代の貴族や庶民や、武士や農民の暮らしがわかるものが面白いと感じる

それは世相や生活感がほぼ同様だからなのだが、古典に生きていた人々は単価や俳句

や、その他権力者への皮肉やユーモアも鋭くセンスもあると感じる。

口だけにならない目標として、暇に任せて文学的な趣味も磨こうかな。

なる。

照明の悩み

掃除をしていて照明用のリモコンが見つかった。

私自身が目が見えないので、照明器具についてはあまり関心がなかった。

家族がいるときは、それなりに照明をつけたり消したりを繰り返していたし、私も気

にはしていた。

1人暮らしになってからは、消し忘れがあったりして何となく照明器具には煩わしさ

や恐怖心も抱くようになった。

それが、リモコンが見つかったことで照明ということに関心が言ったというか興味が

出た。

近くの電気屋さんに行って台所の照明器具について尋ねてみた。

最近は蛍光灯を取り換えるよりもLEDを付ける人がほとんどだという。

ただ、LEDは照明装置事替えなくてはならないので、かなり高くつくとのことである

明るさはとてもよく対応年数も長いので、費用対効果はかなり違うとのことだった。

芽が見えない私がどちらにするかは、自己決定のしんどさとともに、まあ暗くてもい

いかなと思って現状に妥協してしまうことになるのかと思った。

やはり暗中模索になるか、灯りを基に社会とつながっている感覚をたいせつにするか

悩ましい。

点字と手話はベースボールとサッカーみたいだ

今朝ワールドカップサッカーを見て聞いて再認識させられたことがある。

それは、私が視覚障碍者になってからよく思ったことだ。

点字は野球であり、手話はサッカーだというたとえである。

サッカーは、ふっっとボール一つで多くの人が楽しむこともでき、何億人もの人たち

が熱狂している。

コミュニケーション力も強くルールもオフサイド以外は簡単で、まずは道具もボール

一つとゴールらしきものがあれば、ほとんどいらないし、連帯感や熱狂もある。

その点では、点字点字気も用紙もいるし、目立たない地味なツールであるのとルー

ルが厳密に規定されている。

野球は、グローブやバットやボールがないと困るし、ルールも細かなところが多い。

点字と手話、どちらも視聴覚障がい者にとってはたいせつなコミュニケーションツー

ルであり、障がいとその人を象徴する場合もある。

ワールドカップサッカーの熱狂を見ていると何となく点字はとてもいとおしく感じて

しまう。

対比だけでなく、よりどちらも独自に発展していくことを望むばかりである。