箪笥

最近は、脳の機能から人間というものの本質を感じる。その象徴は、記憶である。記

憶の説明に使われるのが箪笥である。

私は、人名でも地名でも出来事でもできるだけ思い出すことを心がけている。想起力

をつけたいと思っているからだが、どうしても出てこないことがある。

箪笥のどこの引き出しにしまったかがわからないから全部開け泣けなければならない

し、どの箪笥だったか、本当に箪笥にしまったかが疑念として残るのは、記名録も低

下がみられる。

これはどこにしまったか、何だったかという記銘力が低下していることに気づく。今

は、物忘れレベルで年齢相当?と納得させるが、もっと進むと認知症という病?にな

るのだろう。

時代が進むと病気になり、医療の対象になり、治療効果が確認されるかもしれない。

神様がくれた身体という人の「生きる限界」の物質的な本質なのに、それを閉じ込め

てしまうことの矛盾も感じる。

箪笥の大証もたいせつだけれど、小さくても年齢に会った機能があればいいんだと思

うこのごろだ。