何のために

いつもインスタグラムを書き始めると文字だけではいけないのかとも感じる。

多くの人々は、写真やグラフィックなどを掲載したり、動画まで張り付けているとい

う。

それは、文字数が少ないツイートでもそうなのだが。

多くの人に伝えたいという思い、あるいは、コミュニケーションや、伝達力のインパ

クトを求める場合はそうなのだろうか。

それは、いわゆる情報のデザインであり、工夫ととらえるほうがいいのかもしれない

私のように文字だけ、言葉だけでは伝えることができることは平面的で単一的である

ようにも思えるが、そうでないと思いたいことが多い。

それが視覚障害があるからではなく、情報量と真実生徒のわかりやすさだといえない

か。

何かを伝えるときの真剣さやそのわかりやすさと重みについては率直であるはずだ。

絵や写真やグラフィックスでは問いかけるものが複合複雑になっているように、訴え

伝えるものも情緒的になるはずだ。

このインスタグラムは誰かに何かを伝え感じてもらえているのか?

私の思いだけを書き綴っているだけでもいいのか自問自答する日々だ。