カウントダウン
「数を数えるということ」は、とても素晴らしい難しいむなしい作業行為である。
私は、一人で外出するときには歩数を数えて位置を確かめることがある。
何となく散歩するとか、決まったコースでないところを歩くとか、駅やホームや点字
ブロックがあってもわかりにくいところには細心の注意が必要となる。
ちなみに大阪駅桜橋口から毎日新聞社までは地下道を通って約千歩である。(時間は
15分、晴眼者は8分だそうだ。)
だから数を数えるのではなく方向性と目印を探すためにやむなく数えることがある。
(歩行訓練士に習って歩行しているのではない場所が多いからだと思うが)
そんな時によく声をかけられる。「お手伝いしましょうか?」と親切そうな人が多い
のだけれど、できるだけ丁寧に断って再出発するとカウントは忘失してしまっている
。(おおまかなところからは始めるが)
父にはよく認知症検査の長谷川式の100から7ずつ引き算していく計算を一緒にした思
い出がある。
今の世情はカウントダウン体制が幅を利かせていることに気づく。
あと2週間で現状は落ち着いてきて、4週間で好転するかなどだといっている。
もういくつ寝ると次のフェイズだとか段階だとか、カウントダウンの世界になってい
る。
数を数えることが誰かの役に立つとか社会に貢献するとかなら楽しいし、素晴らしい
。
カウントダウンは、ロケットの発射や時限爆弾のように何となく緊張や不安ばかりも
嫌だけれど、次のトンネルを抜け出すための数を数えることならば真剣に数えてもい
いけれど。