体温確認作業
今どこに行っても「検温」ということが当たり前になってきている。それはやむを得
ないことなのかもしれないけれど、体調に熱感や違和感があったときにだけ確認する
ものとしての行為だったはずだ。
それがコロナウィルスだけのために当たり前の行為として、作業として定着してきて
いるのにも不自然さを感じているのは少数派ではないのか。
体温の確認は、この病気の証拠、エビデンス(特に私は、この言葉にも何となく違和
感がある。)となっている。
エビデンスには英語で言えば格好がつくような点もあるのだけれど、何か鬼の首を取
ったようなニュアンスで使っている人ばかりのエビデンスという内容の養護なのかも
しれないと思うが、子供のころにすぐ「証拠があるのか、証拠」とむきになっていた
ころのの強い主張していく意味合いが込められているかもしれない。
それはともかく音声体温計を使って検温してみたけれど、かなり不器用でイライラす
る行為だ。そのいらだちのせいで0.2度ぐらいは上がったのかもしれないけれど、35.
4度だった。とにかく時間がかかる。7分ぐらいだ。
今や数秒で測定できる体温計が多いというのに音声で測らねばならない私たち視覚障
碍者にとっては「検温」という行為は安心ではなくストレス確認作業にもなっている
ような戸惑いもあるようだ。