門扉

門扉が壊れてしまった。

かなり以前から開閉時に引っ掛かりがあり、カチカチと気持ちよくレバーは回らなく

なった。

本日修理を試みたけれど以前よりは悪くなった気がする。

我が家に来る人たちは、マンションのオートロックを開けて、また門扉があるという

のは、何のためにと言う違和感があるようだ。

しかし、住民たちにしたら共用部との境界や我が家に入るという気持ち的なメリハリ

の調書はあると思っていた。

最近マスコミで同年代だと知る人々のことをみていると「ごくろうさんだな。でも少

し違うのだけれど」と思う人ばかりに見えてくる。

昔は同年代でこいつはやるなと思った人は柔道の山下(現JOC会長)と阪神の岡田内

野手(後に監督)ぐらいだけだった。

今閉じこもっている自分を観察すると何となく苦笑いのような変な気分だ。

感染症や大規模な自然災害が多発している現在で、ほとんど埋もれていていいのかと

思うこともある。

世間的には、この50代後半から60台を人生の収穫期と位置付けると、何も実りが

なかったようにも感じてしまうことが多い。

別に卑屈に悲観的になっているのではなく、30年近く務めた盲老人ホームの不正事

件を聞いたり、NPO法人を立ち上げた地域の視覚障害リハビリの運営にしても距離を

置いてみられるのは良かったのかとも思うことが多い。

つくづくこの壊れた門扉と同じだなと思う。

外部と家との境界線を持つこと、メリハリをつけることがよかったのかどうなのかと

今更ながらに自問自答する機会につながっている象徴だと思うからだ。