祈念する日。

身近にいた人の亡くなった日を覚えてはいるが、10年を過ぎると年号か西暦かその

近辺にあった出来事化で記憶がおぼろげになっている。

家族や身近にいた人たちの亡くなった日は忘れてはならないのに。

一昨年に父は自分の先祖の50年忌と両親の37回忌と妻の13回忌を一括して法要

を行った。

もはや自分が執り行う最後の法事としての覚悟があった。

こうしたことで親戚や関係者が時間を取って故人を悼み昔の時間を共有できることは

とても大切なことだ。

それが薄れていく現代社会に逆行して生きていきたいとも思うけれど、それは自分が

いかに今を納得して生きぬけて行こうとすることと他社には共用できないことだから

こそ貴重だと思う。

私の恩人ともいえる方の命日(15年前)を数年誤解していた。

改めてお墓参りに行ってもう一度その誠心で清冽な生き方に触れてみたいと思った。

今の自分が少しでも納得できる方向に進めるように祈念するために。

した。