あの日から次を見つめると
昨日は東日本大震災の10年目の慰霊の日でした。
私は当日神戸市東部在宅障がい者センターで相談事業(ピアカウンセリング)を行っ
ていました。
1人目が終わり次の人が3時からなので、トイレに行っての帰りでした。
少し揺れたような気がしたけれど、地震だなと思っただけで、イベントスペースにあ
るテレビが緊急地震速報を伝えていた。
しばらくしてテレビの前で話す声で「津波」地震が大きく「阪神淡路よりすごい」「
これは悲惨なことに」などとざわめく声が聞こえてきた。
5時ごろに施設に電話すると「直帰せずに施設に戻れ」との指示があり戻ってみると
いつもと変化はなく平常な生活であった。
確か防災用具などの点検は翌日にしてテレビやラジオなどでの情報収集になったよう
に思う。
翌日からは、東北に支援に出かける予定を考えることが思うに任せずできなかったこ
とを思い出す。
阪神淡路の支援のお礼をと言う焦りの気持ちと、あまりの被害の大きさに気持ちが折
れそうになる日々であった。
実際に現地に行けたのは、半年近く過ぎてからになったように思うが、Tボランティ
アと共に毎年夏か秋に訪問し続けたことを思い出す。
南海トラフ大地震が来た時にはどう動くことができるか年齢や生活環境の変化で変化
する社会と自分に戸惑う日々である。