闇と沼の感覚
3次元でも4次元でも自分がどこにいるかわからなくなる恐怖は絶対的なものである
。
それが永遠に続くような心理的な負担はパニック障害となって精神的な病を引き起こ
すこともあるのだろう。
ブラックホールのような真っ暗な宇宙の中での暗闇や、底なし沼に落とされたような
手足の自由がきいたとしてもおぼれていくことによる死ぬことへの恐怖に包まれる底
なし沼への落下のイメージである。
これは誰かとコミュニケーションが取れないというような簡単なものではないが、常
に会話や連絡が取れるという安心感とは真逆なものである。
私は、芥川龍之介の「クモの糸」の主人公のように、自分の子供とメールだけでつな
がっている細い糸に恐怖も覚えている。
だけれどもこれが真実であり、だからこそ信頼と言うわかりやすい関係であるのだろ
うと確信している。
でも闇屋沼の底に落下する恐怖は、常に自らの終焉も意識せざるを得ないようなもの
だけれど、どこかに楽観したずるがしこい達観と言う意識を張り付けているようにも
思える。