一部の人間だろうけれど
人生に絶望することは、自分自身を、誰かを信じることができなくなった時に感じる
風のように思える。
この風は、強くも長くも、また冷たくも厳しくもあるのだろうが、無風になるときは
ある。
その時に何を考えるか。何かに気づいてはっとするかだろうが。
若い女子プロレスラーの急死を聞いて、SNSやインターネットなどでの誹謗中傷によ
る他者への攻撃を趣味か仕事としている人たちの風邪の調節を考えずにうちわであお
ぎ続ける感覚は理解できないし、その操作の方法も一方的にする無感覚な絶望的な破
壊でしかないはずだ。
このコロナの最中に、他者を気遣う心の感受性を豊かにする努力もしない人たちが、
確かにいることを確認できる報道も、その正義の味方の報道も無頓着にかけマージャ
ンをしている新聞記者も含めてあまり理解できない人たちが存在していることを確認
できたことを喜ばしく思うしかないと思った。